赤枝 恒夫 先生

皆様こんにちは。私は昭和43年(1968年)東京医科大学を卒業し、そのまま母校の産婦人科医局で10年間学び、昭和53年10月(1978年)東京 港区六本木でクリニックを開業、現在も続いております。

私が大学3年生の時、当時の東京医科大学学長であられた馬詰嘉吉(うまづめかきち)先生に学長室へ呼ばれ「赤枝君、本校に応援団を作ってくれないか。戦前は全国にも名の知れた素晴しい応援団が東医にはあった。東京医大は部活を中心とした、縦の関係は強いが各部の交流はあまり強いとは言えない。そこで応援団が横糸になり撃って一丸(うっていちがん)全校生徒が一丸となり、正義友愛奉仕を実践して欲しい。」馬詰学長と同郷・徳島出身の私にお声が掛かったのです。

早速、同級生の中から開成高出身で応援団経験のあった斉藤泰夫と相談し、同じ開成高出身の種村孝、杉本栄一を入れた4人で活動開始することにした。

戦前の東医の相撲部は東日本学生相撲大会で優勝したほどの強豪でした。東京六大学や、日大、拓大にも負けなかったというびっくりするほどの強さだったようです。そんな相撲部の応援に東医の応援団は隅田川を太鼓を叩きながら舟で国技館に乗り付けていたそうです。

戦前の応援団の団長が田無市の市長をやっているから尋ねてみなさい、馬詰学長に紹介されお会いしましたが、そのド迫力に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。身長も高いほうですが、筋肉質で凛とした姿勢に髭を蓄え、眼光鋭く挨拶されて、元応援団の勇姿が想像される市長さんでした。話が進み、ワイシャツと下着のシャツを脱いだ肩から背中にかけてケロイド状に盛り上がった大きな傷跡が・・・。我々は息が詰まるほどびっくりしました。たぶん刀で切られたのではと察しがつくほどの迫力でしたが、やはり他学の応援団との出入りで切られたのだそうです。

そんな指田吾一市長(昭和8年卒)からご寄付をいただき太鼓を買い、諸先輩から寄付をいただき団旗を作りやっと本格的な活動が出来るようになりました。

そんな応援団も現在まで55年が経ちました。

私は衆議院議員を2期務め、昭和48年卒の羽生田俊君は今も参議院議員2期目で活躍しています。東医卒の国会議員が二人とも応援団出身で、初代団長の斉藤泰夫先生(昭和43年卒、後に隆景と改名)も新潟県議会議員4期、副議長をお務めになられました。誇らしいことです。

私は今も政治活動と産婦人科診療所で人生100年を目指しています。

東京医科大学応援団卒業生

  1. 赤枝 恒夫 先生

    昭和43年卒
    元 衆議院議員

  2. 岩本 俊彦 先生

    昭和47年卒 
    元 東京医科大学老年科教授 
    現 国際医療福祉大学 総合診療医学教授 
    前 東京医科大学応援団 部長

  3. 羽生田 俊 先生

    昭和48年卒 
    現 参議院議員 

  4. 安部 雄大 先生

    昭和61年卒 
    現 東京医科大学応援団OB会長

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